哲学

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アカデミック
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哲学者の真実探求と現代社会の価値観

哲学者とは、真実を愛して探求する人々のことです。この真実は、美しいバラを見たときに感じる「美そのもの」を意味します。プラトンは、バラを観賞する人々を哲学者と「見物好きな連中」に分けました。見物人は、美しいバラの色や形からその美しさを理解しますが、哲学者は異なります。哲学者は、バラを美しくしている根本的な要因、つまり美そのものの存在を観るのです。

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知識と思わく

プラトンは、見物を楽しむ人々がバラを見て感じることを「思わく」と呼び、哲学者がバラを通じて得る知識を「知識」と名付けました。バラという美しいものを超えた真の美を「美のイデア」とし、私たちの感覚を超えた存在をイデアとしています。つまり、哲学者とは、物事の本質や根源、そして知覚できないものを物事を通じて観察する存在なのです。

現代における哲学者の孤立

私は、哲学者が現代の物質主義とは異なり、孤独を感じやすい存在だと思います。これは現代だけでなく、古代にも当てはまるでしょう。なぜなら、多くの人々は他人の行動を観察することに興味を持っているからです。哲学者のように深く考えることは価値があり、人間らしいですが、目に見えない事柄について考え、それを表現するのは多くの人にとって難しいことなんです。なぜなら、考えることはめんどうだからです。

哲学の価値

考えることは、体を動かさずに横になって行うことができるのに、なぜか疲れてしまいます。また、理解できないことを理解しようとするのは、ストレスにもなります。さらに、人間にはやるべきことがたくさんあります。家事や仕事など、日常でやらなきゃいけないことは多いです。哲学は時に無駄な学問だと言われることもありますが、それは物質的な成果が得られないからです。しかし、哲学は人間がいつか到達する、物質を超えた世界においての明確な指針となるのではないかと私は思います。

プラトンのイデア論と善

プラトンは、美しさを感じる理由は、美そのものと同じものを感じるからだと述べています。つまり、私たちが生まれる前に知っていた美のイデアに似ているからです。生まれる前、魂だけの時のことです。物を見るためには光が必要で、光が物質に反射して私たちの視覚に情報を届けます。この光、物質世界においての太陽のような存在をプラトンは「善」と呼びました。イデアを見るためには、この善という太陽が不可欠です。この場合の善は、善行や善性とは異なり、物事の真の原因である不生不滅の存在、つまりイデアを超えたものが善とされます。それはもはや存在とも言えない超越的な存在であり、それが善なのです。しかし、善が何であるかについては、どこにも明確に記されていません。もしかしたら、プラトンが生きていた時代、彼は口頭でのみ教えていたのかもしれません。

魂の永遠性と未来

プラトンは魂の永遠性について考察しています。彼によれば、魂は善の存在を通じてイデアを見たことがあるのです。つまり、そうした別の世界が実際に存在するのではないかと彼は示唆しています。私は、人類がその世界の証明をする日が来るのではないかと思っています。それは地球が滅びた後や、この宇宙の終わりの時かもしれませんが、魂だけの存在ではなく生きている人間としてその世界に入ることになるのでは、と考えています。少しSF的な発想かもしれませんが、人間の思考が真実に至る可能性があると私は信じています。

最後に

この記事を通じて、哲学者の視点やプラトンの思想について考えるきっかけになれば幸いです。現代の物質的な価値観にとらわれず、深い真実を探求することの大切さを感じ取っていただければと思います。

 

用語

・プラトン
紀元前427年~紀元前347年
古代ギリシャの哲学者。ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師。

・思わく
あるものを見て感じること。バラを見て美しいと感じたり、猫に対してかわいいと感じること。

・イデア
存在そのもの。美しいバラを見た時に美しいと思うのは、美のイデアに似ているから。あらゆるイデアは生まれる前に見たことがあるとされている。

・善
イデアが存在する世界における太陽。善が発する光があるからこそ、イデアを視認することができる。

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