GATTとWTO:国際貿易を支えた仕組みの進化と課題

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1947年に始まったGATT(関税および貿易に関する一般協定)は、第二次世界大戦後の貿易自由化を推進し、世界経済の発展に大きく貢献しました。そして、1995年にはGATTの成果を引き継ぎ、より広範な国際貿易体制を整えるためにWTO(世界貿易機関)が設立されました。本記事では、GATTからWTOへと進化する過程を振り返り、現在の国際貿易の課題や、特に繊維貿易に関する独特な歴史について解説します。

 

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GATT体制の始まり:第二次世界大戦の教訓から

第二次世界大戦以前、各国は自国の産業を守るために高関税政策を取っていました。特に1930年代には、アメリカのスムート・ホーレイ法やイギリスの経済ブロック政策が世界経済を分断し、結果的に戦争の一因となりました。この反省から、戦後は自由貿易の促進が世界の安定と繁栄に不可欠であると認識されるようになりました。

1947年、世界の主要23カ国が参加してGATT(関税および貿易に関する一般協定)が設立されました。GATTは、各国が関税を引き下げ、貿易の障壁を取り除くことを目的とし、国際貿易の自由化を進める基盤となりました。

 

GATT体制下のラウンド交渉

GATTの最大の特徴は、貿易障壁を段階的に引き下げるために、複数回のラウンド交渉を行ったことです。1947年に始まった第1回ジュネーブラウンドから、1960年代のケネディ・ラウンド、1970年代の東京ラウンドなど、各国は合意を重ねて関税の引き下げや非関税障壁の削減を進めていきました。

特に東京ラウンドでは、従来の関税削減に加えて、補助金や貿易に関する技術的障壁(規格や認証制度)についても新たなルールが導入され、貿易の透明性が向上しました。

 

繊維貿易の特例:GATTの枠外にあった繊維産業

GATT体制下で自由貿易の推進が進む一方で、繊維貿易は例外的な扱いを受けていました。繊維製品、特に衣料品は、多くの国で「センシティブ産業」とされ、発展途上国が生産する繊維製品の輸入が急増したため、先進国の国内産業を守るための制限が求められました。

1961年には「短期繊維取り決め」、1962年には「長期繊維取り決め」、1974年には「多角的繊維取り決め」が導入され、繊維貿易はGATTの規制外で進行しました。これにより、特定国からの繊維製品の輸入が制限され、先進国と途上国の間で貿易量の調整が行われました。

しかし、1994年のウルグアイ・ラウンドで合意された「繊維協定」によって、繊維製品の規制が段階的に撤廃され、2005年には繊維貿易もGATTのルールに統合されました。

 

WTOの成立とその役割

1995年、GATTはWTO(世界貿易機関)に引き継がれました。WTOは、物品貿易に加えて、サービスや知的財産権に関する新たなルールを導入し、より広範な国際貿易体制を整備しました。WTOの成立によって、国際貿易に関する紛争解決メカニズムも強化され、貿易摩擦の解消に向けた仕組みが整いました。

WTO設立後の主なラウンドであるドーハ・ラウンド(2001年~)では、特に農業や鉱工業品の貿易自由化に焦点が当てられましたが、加盟国間の利害対立が激化し、交渉は長期間停滞しています。

 

WTOの課題と改革の必要性

WTOは、国際貿易における重要な役割を担い続けてきましたが、その運営にはいくつかの課題があります。加盟国が増加するにつれて、意思決定の難易度が高まり、特に途上国と先進国の間の利害調整が難しくなっています。また、サービスや知的財産権、IT技術の発展に伴う新たな課題に対応するためのルール作りも求められています。

一方、二国間や地域間の貿易協定(FTAやRTA)の増加により、WTOが主導する多国間交渉の重要性が薄れつつあります。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)やEUの貿易協定など、特定の国や地域を対象とした協定が増え、WTOの枠外での貿易交渉が進むことも課題の一つです。

 

まとめ

GATTからWTOへの進化は、世界の貿易体制を大きく変革し、自由貿易の拡大に貢献しました。しかし、現在の国際貿易体制は多くの課題を抱えています。特に、ラウンド交渉の停滞や地域貿易協定の台頭は、WTOの機能に対する新たな挑戦を投げかけています。

今後、WTOがこれらの課題にどのように対応し、国際貿易の公正性と自由化を維持できるかが注目されるところです。

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